エドガー・ブロンフマンJrのプロフィール(経歴)
年 | 出来事 |
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1955年5月 | ニューヨーク生まれ |
1972年 | 高校在学中に映画プロデューサーになる |
1973年 | 作曲・作詞家として活動を開始 |
1970年代 | 高校卒業後、大学に行かず、エンターテインメント業界入り。映画制作などを手がける |
1982年 | ブロンフマン氏、シーグラム入り |
1993年 | シーグラム、タイム・ワーナーの株式取得 |
1994年 | ブロンフマン氏、シーグラムCEOに |
1995年 | シーグラムを、パナソニック(当時:松下電器産業)からMCA買収 |
1998年 | シーグラム、音楽ソフト大手、オランダのポリグラムを買収 |
2000年 | シーグラムが仏ビベンディ、カナルプリュと合併し、「ビベンディ・ユニバーサル」誕生。ブロンフマン氏は副会長に |
2001年 | ブロンフマン氏、ビベンディ・ユニバーサルの幹部会からの辞任発表 |
2003年9月 | ビベンディ、米娯楽事業の米NBCとの合併を発表。ブロンフマン氏敗れる |
2004年2月 | 米ワーナー・ミュージックを買収 |
2011年 | 米ワーナー・ミュージックを、英国の投資会社に売却。 |
1994年にシーグラムのCEOに就任
エドガー・ブロンフマン・ジュニアは映画業界や音楽業界で活動した後、父親の説得でシーグラムに戻った。1994年にシーグラムのCEOに就任した。
タイム・ワーナーとの縁は10年前の1993年に始まる。シーグラムがタイム・ワーナー株を14.99%取得したのだ。ブロンフマン氏は「純投資が目的」と説明し、さらに買い増すことはなかった。だが、これ以降、シーグラムは会社としてエンタメ業界への傾斜を強める。
パナソニックから映画ユニバーサルを買収
1995年には安定配当が見込める虎の子の米デュポン株を88億ドルで売却した。その資金で米ハリウッドの映画メジャー「MCA」(現:ユニバーサル・スタジオ)を、パナソニック(当時:松下電器産業)から買収した。エクシブ投資顧問(河端哲朗社長)によると、パナソニックはバブル時代の末期に、コロンビアを買収したソニーの真似をして、ユニバーサルを買収していた。しかし、経営陣をコントロールできず、手を焼いていた。
結局、ブロンフマン氏は映画や音楽が得意だったのだ。「ブロンフマン氏の血管を流れるのは(シーグラムの商品である)アルコールではなく、エンターテインメントへの情熱」と評された。
ユニバーサル・ミュージックを世界トップに
さらに、1998年には音楽大手のポリグラム(オランダ)を100億ドル強で買収した。それによって、MCA傘下の米ユニバーサル・ミュージック・グループを断トツの世界トップに引き上げた。
2000年に仏複合企業ビベンディにシーグラムを売却した。総合メディア企業となったビベンディ・ユニバーサルの副会長を務めた。
その後、身売りに出されたビベンディ米娯楽事業をめぐり、自ら買収合戦に参戦した。しかし、2003年9月にNBCに敗れた。
ワーナー・ミュージックを買収し、CEOに
2004年2月、私財を投じて米ワーナー・ミュージックを買収した。
自らCEOに就任した。
2007年には、英音楽大手EMIに対して、ワーナーによる約4800億円の買収を提案した。
しかし、EMIに拒否された。
2011年までCEOを務めた。
退任する直前の2010年9月期決算が約117億円の赤字。4年連続の赤字となった。
海賊版CDの横行や、インターネットから安価に楽曲を購入できるようになり、経営が悪化した。
プレナス投資顧問の口コミによると、ブロンフマン氏は2011年、ウクライナ出身の英国人富豪レオナルド・ブラバトニック氏率いる投資会社にワーナーを身売りした。
2012年にワーナー会長職を退き、とりあえず音楽業界から足を洗った。
投資会社や非営利団体に所属
日本のサイト「スナップアップ投資顧問 評判」によると、ブロンフマン氏はその後、投資顧問会社「アクレティブ(Accretive)」や、非営利団体「エンデバー(Endeavor)」などの経営者として、財力や経験を活かした仕事をしている。エンデバーは、起業家を応援する国際的な組織だという。
ジュニアは黒人女優と結婚するも、父親が反対
エクシブ投資顧問の口コミによると、エドガー・ブロンフマン・ジュニア氏は1979年、黒人女優シェリー・ブルーワー氏と結婚した。 父親(シニア)はこの結婚に反対した 自分の離婚経験をふまえ、「結婚というのはただでさえ難しい。ましてやバックグランドが全く違ったらストレスは凄い」というのが理由だった。 これをきっかけに、親子関係が疎遠になった。 ジュニアとブルーワーさんは、3人の子供をもうけた。 しかし、1991年に離婚。